勝負哲学
将棋とストラトXとの決定的な違いは、ダイスを使うことにあります。
したがって、将棋が理詰めでの読み合いになるのに対し、
ストラトXでは理詰めでの読みに加えて、偶然性の要素が入ります。
偶然の要素が入ると、ゲームとしての洗練度は落ちるのでしょうか?
そうとばかりは言えません。
なぜなら、ダイスという偶然性が入ることにより、
同じく偶然性の強い実人生にゲームがより近づくからです。
実人生において、私たちは常に決断を迫られます。しかし理詰めでは判断できないことばかりです。最終的には、カンに頼るしかありません。
自分に今、運気があると思えば積極的に行動するし、
今は時期ではないと思えば自重すれば良いのです。
また、人生目標を成就するためには、何ごとにも戦略が必要です。
思えば、もともと気学というのは、どの方向に軍隊を進めるべきかを割り出すために生まれたそうです。それが転じて、人生の方向や選択をアドバイスするための学問として体系づけられたのです。
このように、戦略性と偶然性という二つの要素が合わさって、ストラトX哲学が生まれます。
やがて熟達するにつれ、ストラトXから学ぶ気の哲学を、実人生にも応用できるようになります。
また、性格が変わるのに合わせて、戦略も変わっていきます。
- 勝とうとすると負ける
「勝つと思うな、思えば負けよ」という柔道の歌がありました。これは、まさにストラトX哲学です。
同じくらいの実力の相手と闘えば、より、勝ちにこだわる方が負けます。
なぜなら、敵陣突破のタイミングを間違えるからです。
速すぎれば、司令部にたどりつく前に、部隊が消滅してしまうからです。 - 良いダイスの目を期待すると出ない
不思議なことに、そうなんですね。焦ってコマを進め、遠くの敵コマを狙って、攻撃用ダイス(緑・赤)を振ったとします。 こんな時、良い目が出ることは、まずありません。棚からボタモチのような偶然の成功を期待しているからです。
地道にコマを進め、期待せずに振ったダイスの目は良いのですが。 - 危険なのは、局地的完全勝利
ある地域で完全勝利を収めたとします。敵軍は全滅し、こちらはほぼ無傷といったような具合に。実は、この時ほどプレイヤーにとって危険な時はありません。なぜなら、例外なく、心にー抹のスキと不安とが生じるからです。
心にスキが生じれば、戦線に弱いところが生まれます。また、不安があれば、その攻撃は力強さを欠けたものになります。そして、結局は、司令部を占領されてしまうのです。
ミッドウェイまでの日本海軍も、ソ連を攻めるまでのドイツ陸軍も、局地的には完全勝利でした。そこから生まれた心のスキが、ミッドウェイ島やソ連への攻撃となったのではないでしょうか?
したがって、むしろ多少の損失を出しながらの勝利の方が、気が引き締まるため、後々のためには良いのです。ビジネスなどでも同じではないかと思います。 - 相手にしなければ、闘いは起きない
敵のコマが進んできたとしましょう。敵のコマが来れば、つい反応して、こちらもコマを進めてみたりします。ところが、いくら敵が進んできても、無視したとしたらどうなるでしょう? すると、敵は戦意を失うためか、不思議なことに闘いはおきないのです。
そもそも、自軍の戦略にとって重要でない地点において戦闘を起こす必要はありません。時間の無駄になります。また、戦闘によってコマが減れば、そこが虚点となって、敵軍に戦線を突破されないとも限りません。
そのためにも、自軍のコマを進撃させることに専念し、
不必要な地点での闘いは起こさないようにすることです。
もっとも、ストラトX?Uや?Vと異なり、?Tの盤はマス目が少ないのです。このため、ストラトX?Tにおいてこの原則は、あまり重要ではないかも知れませんが。
もちろん実人生でも、「触らぬ神に祟り無し」であることは、言うまでもありません。うまい設け話があると言われても、乗らなければ被害に合わないのと同じです。 - 運気を読む
これは、先にも述べました。タオリックスでは、戦略の読み合いに、ダイスという偶然性が加わります。このため、理詰めだけの戦略の読み合いでは済まなくなります。すなわち、今ここで自分が振るダイスの目。果たして良いものが出るだろうか? という自分の運気を読むことが加わるのです。
運気が上昇していると思えば攻撃すれば良いし、そうでなければ、コマを進めれば良いのです。また、相手の性格から言って、どのように攻めてくるかの予想も立てます。理詰めでの読みに、運気を読む、そして相手の性格を読むのが、タオリックスにおける読みであり、様々な運気の流れを読んで、そのつど決断し、その結果を体験するというのも、楽しいものです。